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僕がこのブログを始めたのは2006年12月3日。
まだ28歳でした。 気がつけばもう5年以上も書いていることになります。 なかなかブログ書いていないと言いつつも、記事数は327件。 これが多いのか少ないのか、そこら辺はよくわかりませんが。 数を書くことよりも、1回1回真剣にその時の思いを書ききってきました。 そのせいか「情熱的で革新的で真面目な若手農家」っていうイメージでとられることが多くなりました。 でもブログはあくまでブログ。 嘘は絶対書かないし、しっくりこない表現すら絶対に載せることはないけれど、僕のすべてじゃない。 そもそも、僕がこんなふうに思われるきっかけとなったブログ。 始めた理由は『婚活』でした(笑) 牛飼いの仕事すら知らなかった僕。 大学院を中退して畜産農家での2年間住み込みの研修。 何度も壁にぶつかりながら、ようやく借りた牛舎で5頭から始めた牛飼い。 次々借金して牛を増やし、牛舎を点在させながら無我夢中で、借りたお金の重さも分からないまま規模拡大に進みました。 そして、自分の牛舎を建て、牛もそろえてきた頃、規模拡大という単純明快な目標が消えてモチベーションが一気に下がってしまった時期がありました。 当時の僕は畜産の最新技術にハマっていて、色んな本や雑誌を買いあさっては新技術を取り入れていました。 その時に見つけたのが獣医師である山本浩通先生の 『誰も教えてくれなかった農場をうまくやる方法~コーチングであなたの農場が100倍魅力的になる~』 という本でした。 当時コーチングということばビジネス雑誌では出てきていましたが、農業分野では聞いたことのない言葉でした。 著者の山本先生はコーチングの受付けをされていなかったようだったので、山本先生がコーチングを受けていたコーチの方と連絡をとり、お金を払ってコーチングの契約をお願いしました。 「杉本良明」さんと言う方です。 僕は「新しい目標の設定とそれを管理するためにコーチを雇ってセルフコントロールしよう!そして経営をさらに良くしよう。」 そんな思いでいっぱいでした。 今思えば、目標を失っていた自分が、依存できる場所を探していただけの気もします。 それでもその時は、その思いいっぱいでコーチングを受けることになりました。 コーチングとは「相手の中にもともと持っている答えを、コーチが聞きに役に徹することでクライアントから答えを引き出していく」そんなイメージをよく持ちますが、杉本コーチはどんどん提案してくれるコーチでした。 電話で話していく中で、話は脱線してプライベートなことへ。。。 杉本コーチ:「田中さん、独身だって聞きましたが、結婚願望はないんですか?」 僕:「そ、そりゃ、良い人がいたら結婚したいとは思っています。」 杉本コーチ:「じゃあそのテーマでコーチングしていきましょうか。」 僕:「ええっ!!これってビジネスコーチングですよね。結婚相手を探すなんて、そんな(よこしまな)テーマありなんですか!?」 杉本コーチ:「もちろんですよ!だって結婚相手を探すなんて、一生のパートナーを探すってことなんですよ!経営目標の設定も大事かもしれませんが、一生のパートナーを探すことをないがしろにしてるなんて変ですよ。」 僕:「(なんか照れくさいけど)じゃ、じゃあそのテーマでお願いしてもいいですか?」 杉本コーチ:「わかりました。じゃあまず、ご自分の周りの方に『僕は本気で一生のパートナーを探したい。だから力になってもらえませんか』ってお願いしてまわりましょう。 「結婚相手を見つけたい!」っていう思いなんて、だいたいみんな思ったことあるもんです。だから気持ちも理解してもらえるし、何より真剣にお願いされたら「よっしゃなんとかしたろう!」って思っちゃうもんですよ。 かっこつけて『僕は自分で見つけられるよ~』なんてすかしていたら駄目ですよ。」 僕:「な、なるほど~。(俺、カッコつけてすかしてたな・・・)」 杉本コーチ「ではまず、釣書をつくりましょう。そしてそれに添える写真も。写真は良い物を!第一印象が大事です!釣書とはお見合い相手などに送るプロフィールのようなものです。とにかく餌屋の営業でも周りの牛飼いさんでも配りまくってください!これは一生のパートナーを見つける大事業ですので、恥ずかしがっていてはだめですよ!」 僕:「は、はい。頑張ります!」 な~んて盛りあがり、釣書を書くことに。 そして、高校や大学の同期や削蹄の兄弟子に電話をかけて「俺本気なんだけど、結婚相手を探していて、一生のパートナーだからみんなの力も借りたくって・・・・」とお願いしました(笑) その時に、釣書だけじゃ味気ない、自分をもっと知ってもらうためになんかないかな~と思い始めたのが、このブログなんですね~。 本当は『牛たちと自然いっぱいなところで楽しんでいま~す。』 っていうような良いイメージで軽い感じのブログを書くつもりだったんです。 でも、書いているうちに暴走しだして、言いたいこと言いまくるようになり、今のブログになるのです。。。。 (ちなみに初めての投稿が「この記事」最初から当初の目的とずれているとこが僕らしいです。) よこしまな、いやいや、純粋な動機から始まったブログと婚活。 色んな人達と繋げてくれました。(まぁここは色々割愛しときます。) そうやって将来の相手を真剣に探し、空回りしながら、ブログもちょこちょこ更新していっているうちに、僕が放牧で牛肉生産したいっていう思いに反応してくれて、ある方からメッセージをいただきました。(注:男性です) その方が働いている牧場は岩手県にあって、その牧場では完全に放牧だけで牛乳を生産し、自社プラントを作り、販売までしているとのこと。 さっそくその牧場に電話をし、2泊3日の研修をお願いしました。 そしてすぐ岩手県の宮古へ飛びました。 そこでの研修は刺激的で色々と考えさせられることもあったのですが、 最終夜、社長とブログにメッセージをくれたY君との3人で飲み明かすことになりました。 熱い牛談義から話は僕が独身だという方向に進み、急に社長が一言 「あつみちゃんなんていいんじゃない?」と言いだしました。 Y君も話に乗って 「あつみちゃんいい子ですよね~」と 僕は酔っ払ってたので 「はぁ、あつみちゃんですか~」と適当に相槌をうってました。 するといきなり、 社長:「よし、あつみちゃんを呼ぼう!!」 Y君:「呼びましょうか!」 僕:「・・・・・・」 社長:「Y、あつみちゃんに電話しろ!!」 Y君:「今10時過ぎてますが、今からですか?」 社長:「そうだ!!」 そして、深夜酔っ払いのおじさんたちは宮古から車で3時間かかる盛岡市にいたアルバイトの「あつみちゃん」を呼びだすという暴挙に出ました(笑) そして夜中の2時ごろ「あつみちゃん」が来た頃、僕たちはすっかり酔い潰れて寝ていました。。。 (めちゃくちゃタチ悪いですね・・・) 朝、歯を磨いていると後ろに女の子がいました。 途中で寝た僕は、よく意味がわかりませんでした。 そして実習最終日の朝、山形村の短角牛を見せに連れて行ってもらうことになりました。 社長が運転、奥さんが助手席、そして後部座席には僕と「あつみちゃん」 何とも良くわからない状態で車は発進しました。 道中2時間半。 2人の間に会話なんて一切なし。 車内に微妙な空気が。。。。。。そりゃそうだ。 そんな時、ふっと「あつみちゃん」が社長にはなしかけました。 あつみちゃん:「この前、社長のとこの牛乳を飲もうと思って大学の購買部に行ったんですよ。そしたら売り切れていたんです。」 (あ~、かわいそうに。わざわざ行って売り切れとはついてない子だなぁ)と、思っていると 「あつみちゃん」はすごい笑顔でこう言いました。 「買えなくってうれしかったです!!」 ずどーぉぉぉぉんときました!!! 大好きな牧場の大好きな牛乳が売り切れてて、でもそれは、みんながその牛乳をたくさん買ってくれて飲んでくれたってことだから「うれしい!!」って思える。 そんな人いるんだ!! この瞬間に惚れました。 結局会話らしい会話もないまま、僕は帰り際に名詞だけ渡して兵庫県に帰ってきました。 名前と顔と少しの会話しかない中で、年齢も職業もな~んにもしらないまま別れました。 普通なら2度と会わない人。 でも、どうしても何か気になってメールしたり、電話したり。 だんだん電話する時間が増え、毎日6時間近く電話し続け、結局たった1日会っただけで結婚するところまで至りました。 そん時に初めて「あつみちゃん」が未成年だったことが判明。。。 今になって「勢いってすげーなーっ」てお互い言ってます(笑) いやいや、嫁さんとののろけ話ではないんです。 10代で東北から兵庫県の但馬へ単身でやってきて、結婚、牛飼い、子育て。。。。 僕とは9歳違い、牛飼いの経験年数ももちろん違う。 但馬は僕のホームグラウンド。 当然のように何もかも主導権は僕が握って。 おまけに僕は普通の牛飼いと違って、暴走列車のように飛び回り、やりたいことに一直線。 本当につらいことがいっぱいあったと思う。 今もしんどいことだらけだと思う。 今は牛舎仕事のメインは妻です。 今月に入って6頭もの牛が死ぬという、経営して以来経験したことのない、信じることができない事態が起きました。 僕が鬱で無く、今まで通り牛舎に入っていても同じ結果だったと思います。 でも、そういったことも含め本当にたくさんのものを妻の背中に乗せてしまっている。。。 本人は「勢いで結婚しただけ。若かったから~」なんてあっけらかんと言うけれど、 10代の女の子が全く見知らぬ土地で牛と新しい家族とともに進んでいく事を決めるってことは本当に本当にすごい覚悟だと思う。 だって1日しか会っていないんだし。 おまけに僕は暴走列車だから。 それでも僕を信じてついてきてくれている。 もったいないくらい。 自慢の奥さんです。 今の僕は妻の愚痴も聞けない状況。 本人は何事もないように休んでいる僕をサポートしてくれている。 なんて情けない夫だろうって思う。 このブログで「奥さん想いの夫」を演出したいわけじゃない。 むしろ僕は「奥さんに重荷を背負わせている夫」だ。 「それは重荷じゃないよ」「奥さんは重荷って思っていないよ」って意見もあると思う。 でも僕はやっぱり「重荷」を背負わしているって思ってしまう。 ただ、 『一生一緒にいる』ってことは、そんな時だってあるってことなんだと思う。 開き直ってるみたいだけどそう思うんです。 もちろん立場が逆の場合だってあります。 毎日笑顔で愛情いっぱいであればいいのかもしれないけど、一生一緒となれば色んな事があるのが当たり前。 申し訳ないな。情けないな。後ろめたいな。むかつくな。。。 色んな感情あって当たり前。 でも、『一生一緒にいる』ってことは、当たり前じゃない。 当たり前じゃないんだ。 だから今、横で優土だっこしてテレビ見ているあつみのいる風景が嬉しい。 いつもいつも田中畜産は僕が看板みたいに前に前に出てきたけど、 今日は自慢の奥さんを紹介したくてブログを書きました。 みんな「あっちゃん」ってよんでくださいね~! ありがとう!!! ![]()
昨夜は牛の草を切る押し切りという道具で左手の親指の腹をザックリ!
「やっちまった!!」という思い。。。 昔から削蹄で指はよく切ってたので、反射的に指の付け根を締め付けて止血。 家に帰って傷口見て大慌て!! 急いで救急外来へ。 7針、骨もちょっと見えました。。。 僕はアドレナリン出っぱなしだからずっとハイテンション。 妻は振り回され、外で待たされ、運転席でぐったり。 鬱が良くなってきて躁になって、ふわふわしてたのかも。 これも1歩かな。。。。 こんな感じで昨日は救急外来で豊岡病院、今日は鬱で精神病院、明日も明後日も指の治療で豊岡病院。 出来ることが増えたり、出来ないことが増えたりです。 出来ることが増えるのも1歩。 出来ないことが増えるのも1歩。 どんな形であれ進み続けている。 今はこの1歩を感じようかなと思っています。 10,000歩先の未来も良いけれど。 今の一歩が、もどかしくも愛おしい感じ。 ![]() 先日、牛市で『もっとしっかりしろよ!』と激励をいただきました。 本当に心配してくれるから声をかけてくれている。 でも、その時の僕にはキャパオーバーでした。 「あぁ心配していただいている。感謝すべきことだ。でも何をどう頑張ればいいのかわからない。しっかりって何なのか。。。俺って駄目なのか。。。。。もっともっともっと。。。。。。。。。」 言葉だけが頭の中を先行する。 良い人でいる気もない。けど突っ張る気力がない。。 そんなことを思ってたら 「別に、無理してがんばらなくていいんじゃなーい?期待の裏返しは依存だし、まずは自分が誰よりも幸せだと感じられるようになることじゃない?それから動けばいいじゃん」 なんて言ってもらえてすっごく楽になりました。 妻は「励ましてくれている【気持ち】だけ受け取って【内容】は自分に合わなかったら退けたらいい」と言ってくれました。 これもすっごい楽になりました。 僕は「期待に応えようとする」癖がありました。 それはそれで僕をここまで突き動かしてくれたんだけど、 その裏返しは「認められたい」という承認欲求から来ていました。 そんな欲求も消せはしないなりにも、良い感じに手放せてきています。 自分の求めているもの。 本当に自分の求めているもの。 地位や、名声やお金じゃない。 経済活動から目をそらしているわけじゃなくって、それはそれで必要なんだけど。 「認められたい」のもっと奥にあるもの。 それが自分の求めているもののような気がします。 その答えは色んな人から言っていただいた言葉や、色んな本の中にも書いてあるのかも知れない。 でも、それを教えてもらっても、本で目にしても絶対しっくりこないのはわかる。 自分の求めるものは自分で見つけないと納得できるわけがない。 色々抱え込みすぎてたので、いっぱい手放そうと思います。 一歩一歩。 進みます。 ![]()
いよいよ今年のお肉販売がスタートです!!
今回はいつもの【放牧敬産牛肉】に加え、新たに【但馬敬産牛肉】の販売も開始いたしました。 放牧敬産牛肉は『ふくさと』 ![]() 但馬敬産牛肉は『としこ』 ![]() 【放牧敬産牛肉】と【但馬敬産牛肉】はどちらも但馬牛の母牛ですが、 飼い方が違うため、それぞれが全く違うお肉です。 好みが分かれると思います。 でも、ひとつだけ。 飼い方の違いはあれども、どちらも元々は命を持った牛でした。 「何を当たり前のことを!」と思われるかもしれませんが、真実なんです。 僕は牛達が「私は食べられるために生まれてきた。美味しく食べてくれてありがとう!」なんて思ってないと思っています。 僕らが生きていたいのと同じく、牛だってもっと生きていたかったと思います。 全くもって「不本意な死」だって思ってるのかもしれません。 牛に限らず、生きているものは食べていかなきゃ死んでしまう。 当たり前なこと。 以前、人の死とは2回訪れると聞いたことがあります。 1回目は肉体の死。 2回目は人々の記憶から忘れされた時に起きる死。 僕は「ありがとう」「いただきます」と牛に感謝できることは、とっても素晴らしいことだと思うんです。 でも、「残酷だ」とか「仕方ないじゃないか」と思うのも自由だって思います。 みんなそれぞれ生きるために食べている。 体を維持するために、心を満たすために。。。 必死に生きている。 「としこ」は妻が一番可愛がっていた牛でした。 妻はペットとして飼いたいと僕に言っていました。 でも、僕は肉にすることを決めました。 肉を食べることについて僕がお願いしたいこと。 それは僕がお肉の販売を開始した理由でもあります。 道徳的に「いただきます」を強要したいわけじゃない。 ただ、「としこ」と「ふくさと」をずっと覚えておいてほしいんです。 それだけです。 一人でも多くの方々が我が家の牛たちで笑顔になり、そしてその牛たちの事を覚えていいていただければ。 自分が牛を飼っている意味があると思います。 ![]() 牛たちはHPから購入できます。 よろしくお願いいたします。 田中畜産 田中一馬
こんばんは。
たくさんの励ましの声をいただき、本当にありがとうございます。 ひとつひとつの頂いたメッセージ、ゆっくりと想いをこめて返信させていただいています。 遅くなっちゃいますが、どうか気長に待ってて下さい・・・ 僕の方は、ぶっちゃけイマイチです(笑) 対人関係がダメ。 とくに電話がダメです。。。(たまに居留守番電話になりますが、それも聞けません・・・) 今月あった2件の視察も妻に対応をお願いし、 牛市も牛を運んだものの、人混みが苦しくなり、 結局、妻に牛を預けて、削蹄の兄弟子にサポートをお願いして帰りました。 仕事は僕が中途半端に介入するのは牛にとっても悪いのでやめ、 判断も含めて妻に任せることになりました。 そのかわり、僕は家でゆっくり家事、育児。 と、いくはずが、そうはいきません。 家事、育児にこんな大量のエネルギーが必要だなんて知りませんでした。。。(苦笑) 朝から晩までずっと家の中で2歳10カ月と1歳のちびっ子たちと向き合い、ご飯、洗濯、掃除。。。 世のお母さんはすごいね。 当たり前に踏ん張ってこなしてんだもん。 最初は子供の相手も軽く受け流すはずだったのが、だんだん追いつまっていく自分。 無理して相手をすると、結局無理しているので、後でしわ寄せが周りに行きます。 ただでさえ小さい器いっぱいいっぱいなので。。。 娘もお父さんと家の空気に敏感になっていて癇癪がどんどんひどくなる一方・・・・ 何も置いても超溺愛だった娘に「もうムリ」って思ってる自分。 「はぁ~~~~~・・・・・」 鬱から得るものいっぱい! 一皮むけて完全復活!! な~んてことにはそうそうなりませんね。 回復するまで1年くらいかかるらしいので、まあブログ書けているだけで良しです。 牛飼いも完全に離れるとかえってストレスだと分かったので、 出来る時に、押し切りで草切ったり、糞とりしたり、水を綺麗にかえたり、通路掃いたり・・・ 中学生でもできるような単純作業をしてます。 でも、それはそれで結構ありかなと思ってもいます。 誰にでもできる単純作業も意味のある仕事だから。 その意味を1番分かっている僕がやればもう単純作業じゃないかなって。 結果的に妻に牛を任せることで妻の牛飼いとしての思考、スキルはどんどん上がっています。 さらになにげなく片づけていた単純作業のレベルも上がるとなれば、牧場の管理レベルも上がる!! ここらへんは『一馬独裁牧場』から良い意味で進化していると思います。 でもでもでもでも、 そうはいってもやっぱ今のままじゃあかん。 あかんから鬱になった。 間違いなく周りの負担は増えました。 ごめんね。 ごめんなさい。 焦りたいです。 けど 焦りません。 負担かけちゃうけど、色んな目で見られちゃうけど、 ごめんね。 どうせ一生付き合うんだから、治ってから、ゆっくり、一生かけて 少しずつ、小出しにして、 みんなに還元させてください。 だからこれからも引き続き、変わらず付き合って下さいね。 鬱話ばかりでも面白くないのでちょこっとお肉屋さんの近況です。 あさって19日に今年の放牧敬産牛『ふくさと』を出荷します。 うちから車で1時間ほどの和田山食肉センターで屠畜です。 昔ながらの屠場です。 大きな食肉センターでガラス越しに見る牛肉の解体ではなくって、 最新鋭の設備を備えてるわけでもなくって 最初から、枝肉になる最後まで、ずっと牛のそばにいられる屠場。 本当は山の放牧場から直接行く予定でしたが雪のため急遽先日牛舎に下ろしました。 (スタッドレス履いた家畜車が上がれず、歩いて下ろしました・・・) 今年も量は少ないけど、ふくさとの体の大きさ分だけでも笑顔が届けられたらいいなって思います。 おっきなことやスペシャルなことは、もうちょっとちっちゃな事が出来てから考えます。 本当にやりたい事なら大小関係なく自然に動けるはずだし。 最後まで読んでいただきありがとうございます。 ![]()
前回のブログでも書きましたが一昨日から明日8日まで18:54~朝日放送(関西限定)「がんばれ元気ッズ」で我が家の放牧ツアーの内容が放映されています。
1~2分ですが、よかったら今日も明日も見てやってください!! 今日は近況報告を。 前にも書きましたが僕は今、鬱病で療養中です。 比較的軽度で薬も合っているようなので、結構いい(普段と変わらない)状態をキープできています。 ただやはり薬も完璧じゃなく、日や時間帯や天候など自分の中の波の上がり下がりはけっこうあり、対人関係も苦手です。 まだ時間が必要だと感じているところです。 さて、テレビで放映される「放牧ツアー」なんですが、元々は我が家で行っている放牧牛パートナー制度という取り組みの一部でした。 放牧牛パートナー制度の一番の特徴は自分が関わってきた牛の命をいただくということなんですが、 実際は皆さん牛飼いでないのでなかなか関われません。 そのために毎年放牧ツアーという1泊2日の牛飼い体験ツアーを企画しています。 でも、このパートナー制度は課題だらけで・・・・パートナーの方に支えられて何とかやっているのが現状です。 そもそも何でこんなことを始めたかと言うと。 僕が牛飼いを始めた頃、牛飼いでありながら牛肉に「牛」を感じ、ありがとうなんて思って食べたことなんてなかったんです。 ただ安いか高いか、サシがあるかないか、美味いか不味いか、黒毛かホルスか、そんな肉としての評価しかしてませんでした。 でも、初めて自分が育てた牛の肉を食べた時、なんとも言えんあったかい気持ちになって。 「ありがとう」「いただきます」っておもえたんですね。 これって知識として牛から牛肉への工程をしっているってことではなく。 その自分が飼っていた1頭の牛との「関わり」があったからなんだって思いました。 だから知識ではなく、関わりを提供できる牧場でありたかったんです。 そしてその牛を食べてもらいたい。 僕の感じた感覚を共有したい。 心があったかくなる牛肉を届けたい。 そうやってパートナー制度はスタートしました。 しかし、この関わりっていう所でいきなりつまづきました。 僕が「牛」を感じた関わりは、毎日の仕事の中でずーっとそばにいるという関わり。 ちょこっと牧場に来てブラッシングしたりミルクやりしたりと単発的な牧場体験じゃだめです。 そうは思えどもアイデアが出ません。 「好きな時にいつでも牧場に来てもらう」 そんなことも考えましたが、年間100日は削蹄に出ていて、削蹄の日程も基本的には1週間前に決まる(お客さんの依頼があればすぐ行く)のでスケジュールを開けておけない。 うしうし新聞という機関誌やうしうしメールという日々の牛の様子を伝える取り組みも行いましたが、うしうし新聞は仕事に追われて手が回らない。 日々のうしの様子を伝える毎日発行のうしうしメールは日々伝えるようなおもしろい事件がない・・・ 牛飼いでは毎日淡々と牛と向き合っているので・・・ そして何よりショックだったのが、 自分の牛たちの性格や思い出や出来事を伝えれるほど牛と向き合えていなかったことに気づいたことでした。 牛飼いを始めた頃は草刈り以外は1日中5頭の牛だけ見てました。 寝泊まりも牛舎。 でもいつの間にか牛は増え、牛舎は点在し移動とスコップでの除糞、除雪で1日が終わる日々。 牛の事が見られなくって事故が多発。 数頭の牛を死なせてしまった。。。 無制限に規模拡大を目指すのでなく、もっと牛と深くつながりたい!!! それを食べる側に提供したい!!! そういう思いが強くなった。 その思いを広げるために動き出しました。 そして、牛飼いの他に削蹄、お肉の営業、遠征、視察、プレゼン、取材、講演・・・・ 牛を伝えたいという思いで色んな事に手を出して、気がつけば再び牛が見れていない状態になっていました。。。。 おまけにいそがしすぎて全て中途半端な状態に。 放牧牛肉は突き詰めれば突き詰めるほど壁が高く、 詰めの段階に入っていた放牧場の確保に大きくつまづき、 牛飼いとしての技量、肉屋としての圧倒的な知識経験のなさ、資金不足、営業。。。。 何でもかんでも自分で完璧にやらなきゃ気が済まない性格で、人の力を借りることができない。 仕事だけでなく子育ても完璧にしなきゃと家に帰ると全力投球。 当然しわ寄せは奥さんに行きます。 本当に大変だったと思います。 一度過労で入院したので、このままのペースではあかんと思い、遠征や視察、講演もすべてやめました。 一昨年から牛飼いに専念。 繁殖成績も360日を切り、子牛のバラツキも減り、全体的な発育も改善し、牛群も更新し、牛も見れるようになり、3年かけて食い込んできていた赤字をなんとか乗り切れる見込みが出てきました。 2人の子供もすくすく育ち、新車も買っちゃったりなんかして。 この畜産危機の中、これからこの土台でグッと歩いてこう。 そう思っていた矢先でした。 急に動けなくなりました。 落ち込んだ感情がコントロールできない。 感情の落ち込みで言えば、もっともっとつらい時期なんてあった。 それらすべて乗り越えてきたという自負もありました。 でも何もやる気が起こらず、涙が出る・・・ 未来の自分のイメージだ。 プラス思考。 夢。 ビジョンとポリシーだ! 今できることに集中だ!! 今、今、今、の積み重ねが未来の自分をつくるんだよ!! 甘えてんじゃない。 逃げんなよ!みんな頑張ってんだ! 俺はこんなとこで落ちる人間じゃない。 気持ちの問題だ! もっともっと動け!動けば変わる!動いて動いて自分を引っ張り上げろ!!! どうやっても動けませんでした。 唯一の息抜きだった漫画も読めない。。。 好きな音楽も聴けない。 ただ何もできなくてぼ~っとしているだけ。 生きててつまんない。 夜眠れなくなる。 そんな日が1カ月弱毎日続きました。 さすがにおかしいと思い精神科に行きました。 鬱病でした。 「まぁ先生って何でも病名をつけたがるもんだしな。」 「ほんまは鬱じゃなくって鬱って言われたからそんな気になってるだけじゃないの。」 そう囁く自分。 受け入れたくありませんでした。 鬱の薬を飲んだ瞬間、僕は「負けた」と思いました。 僕は敗者だという気持ちでした。 僕のウリは「想い」だけ。 結果なんて全然残してない。 そう思っていただけに、心が折れてしまった自分に全く価値を感じられなくなりました。 動けないので家族に負担がかかります。 削蹄も休業させていただき、収入は減ります。 「頑張らなきゃ」という気持ちと「今は動かないでくれ!」という心の葛藤の中、それでも淡々と毎日牛飼いをしていました。 でもさすがにしんどくって1日完全に牛飼いを休みました。 そん時ようやく思いました。 「受け入れよう」って。 鬱は再発が多い病気ではありますが治る病気です。 自分を責める気持ちはなかなかおさえられませんが「気持ちの問題」で終わらすんじゃなく。 ちゃんと向き合って、治そうと決めました。 そしてまず、鬱だってぶっちゃけることにしました。 最初フェイスブックで告知しました。 そしたらほんとにいっぱいの励ましのメール、メッセージ、コメント、いいねをいただきました。 その中には初めてのお産で、しかも妊娠末期不安な時期に。 おまけに赤ちゃんがちっちゃくってお母さんの羊水も少なくなっていて急きょ転院・入院で帝王切開で出産というような状況の中、こんな僕の事を心配して、温かい心のこもった励ましのメールをくれた友達もいました。 あ~、こんな僕でもいいんだ~。って思えるようになりました。 あ~、俺しあわせやわって思えました。 あ~、一人じゃなかったんやな~って当たり前の事に気づけました。 鬱を受け入れてい~っぱい気づくことがありました。 とはいえまだまだ鬱症状は出てます。 受け入れきれていない自分もいます。 でも、ちょっと鬱になってよかったな~って思える自分もいて。 「あいつは負けた」って思われるんだろな~って思う自分もいるけど。 起こること全部最高のタイミングの必然なんだなって思います。 僕の娘も息子も鬱の前も後も全く変わらずお父さん大好きでいてくれています。 妻も変わらず(無理かけちゃってごめん)そばにいてくれています。 今は午前中は父が出勤前に子牛にミルクをやってくれています。 午前中の牛飼いは妻がしています。 僕はだらだらしてます。 午後から牛舎に行き牛を見て餌を触ったり糞とりしたりミルクやったりと少し仕事にかかわるくらいです。 夜は父母が子供を見に来てくれます。 ありがたいです。 助けられっぱなし。 すごく楽させてもらってます。 まだまだいっぱい書きたいことあるけど、ぼちぼち自分のペースで書かせてもらいます。 おそらく僕自身、劇的に大変わりすることはないと思う。 でもちょっとちょっと進んでいると思う。 そんなこともブログを通して感じてもらえたら嬉しいです。 今年も放牧経産牛肉の販売行います!! またブログで告知させてもらいますね。 今年の牛は「ふくさと」 このブログのトップに娘と一緒に写っている人間好きの優しい牛です。 ではでは皆さんにも幸せな一日でありますよう!!! 最後まで読んでくださってありがとうございます。 ![]() |
![]() 田中畜産のHP お肉のご購入はこちらから 「放牧牛と生きる」 ㈱光洋さんが動画を作ってくださいました!! 【自己紹介】 兵庫県美方郡で但馬牛の繁殖をしています。 小さい頃から動物が好きという思いと(父の郷に帰ると近所の牛舎によく牛を見に行っていました)、農業はみんなの生活を支えるすごい産業だという思いがつのり、5頭の牛を揃えて2002年から牛飼いを始めました。 現在は繁殖(母牛)50頭と子牛、犬、やぎ、猫、ロバと一緒に生活しています。 夢は牛飼いを通して「食べ物に困らない社会」と「命(牛)に感謝できる社会」をつくることです。 牛飼いを子供が憧れる仕事にする! そのために現在荒れた山を使い、放牧での牛肉生産に挑戦しています。 また、牛が生まれてから肉になるまでの4年間を牛と関わり、その牛の成長を見守りながら牛肉を提供する「放牧牛パートナー制度」を行っています。 食べることに「かわいそう」ではなく「ありがとう」と思える社会を目指します! 僕だけでなく、すべての人が夢の持てる牛飼いがしたい。 毎日一瞬一瞬を全力で楽しみましょう! twitterもよろしくお願いします! ネームカード
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