放牧牛肉に向けた取り組み その1
いよいよ今年のお肉販売が始まる。
日々の事、お肉の事、牛の事いろいろ書きたい出来事があったのだけど中々パソコンの前に座れなかった。
忙しさもあったが、自分の中で消化できていない思考が残っていたから。

僕は今、放牧で牛肉を生産しようと完全グラスフェッドの但馬牛の去勢を2頭飼育している。
「夢」と「元気」と言う名前の牛だ。
グラスフェッドとは穀物を与えず牧草だけで牛肉まで飼育する方法。
牧草だけなので脂肪は少なく、増体も悪い。
もちろんサシは入らない。

但馬牛という黒毛和種の中でも特別小さく、和牛の世界でも特殊な「品種」の牛を、完全に草だけでお肉にする。
過去をさかのぼっても、世界中探しても絶対にここにしかありえない取り組み。
それは逆にいえば、それだけ無茶な発想で、「なんで但馬牛なんだ!」「どうしてもやりたいなら違う牛でしたらいい」そんなことばかり言われてきた。
たとえ100,000人牛飼いがいても、こんなことを行う人なんて一人もいない。
素人の道楽ならまだしも、業界内では「革新的」ですらなく、「異常」な取り組み。。。
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現在はこの「放牧牛肉」と同時並行でお肉になる直前の半年間を放牧で仕上げる「放牧敬産牛肉」というお肉をインターネットで販売している。

HPはhttp://tanatiku.com
今年は3頭の牛をお肉にする。

そもそも何故こんな事をしようと思ったかと言えば、平成18年に起きたエンドファイト中毒がきっかけだった。
当時の僕は15頭ほどしか牛がいなくて、牛飼いだけで食べていけなかった。

実は就農してから2年間は県と町から毎月合わせて15万円の補助をいただいていた。
それで餌代と生活費をまかなっていたのだ。
当然のことながらそんな補助はいつまでもあるものではない。
1年目5頭、2年目8頭、3年目15頭。。。。
生活のために一刻も早く牛を増やして売上を上げる必要があった。

しかし、当初借りた牛舎は親牛10頭入ればいっぱいいっぱい。
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場つなぎ的に村岡に、小代に、新温泉町にと牛舎を借り、借金を重ね牛の頭数を増やした。
牛舎をどこかに新築しなければもう回らなくなっていた。
そんな時に進めていた牛舎建設が白紙になる。

お金は借りているので牛は増える。
牛舎が無いので間借りして置かせてもらう。
一から牛舎建設予定地を探しなおす。
そして今の地主さんとの出会いで土地を確保できたものの
牛舎の設計、補助事業の算段、牛の導入、点在する牛舎、記録的な豪雪。。。
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機械も何もなかったから、糞尿もスコップでトラックに積んでは40分かけて深夜隣町の堆肥センターまで持って行ってはフォークで下ろす。
雪が降ったらスコップで1日中除雪。
そんな事ばかりに手が取られては何も進まない。

完全に頭も手も回らなくなっていた。
毎日イライラして、焦っては他人を否定し、周りを巻き込んだ。

牛も見られなくなっていた。

そんな時に6頭の牛の足が壊死している事に気が付く。
それがエンドファイト中毒(フェスクフット)
牧草のカビ毒から来る中毒症状だ。
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末期症状で全ての牛が廃用となった。
足が痛い牛を治りもしないのに何とかお産まで持つようにと毎日治療する日々。
そんな現状が続くと可哀想という感覚もマヒしてしまっていた。
ある日牛舎に行き「ああ、またあの(エンドファイト中毒の)牛、足痛いんか」と思いながら横目で見ていたら、実は陣痛で子牛の胎位がおかしく難産だった。
結局子牛は死産。
さっきまで生きていてサインを出していたのに。
親牛もそのままフェスクフットで予後不良との判断で廃用。
牛が好きで始めた牛飼いだったが、逃げたくて仕方なかった。

食べさせていた牧草や配合は全て海外からの輸入飼料。
「国産牛は外国産よりも安全。但馬牛・神戸ビーフは信頼されている」
そんな事を自分で言っていた一方で、
「BSEでアメリカ産は危険と言いながら、牛が食べている者はアメリカ産。牛が食べた物から牛肉が出来るのに何を持って安全って言うんだろう?」
そんな今まで蓋をしていた思いが次々出てきた。

結論から言えば、これらはエンドファイトを含め、すべては自分の管理不足でしかない。

でも当時の僕はそんなふうに冷静に見られなかった。
色んな大切な人や事柄がガラガラと音を立てて壊れていく一方で、どんどん進む規模拡大。
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怒りの矛先は「輸入飼料」だった。

しかし、輸入飼料に頼らない経営など現状では不可能だった。
頭数を減らし、機械に投資し、狭い但馬の谷沿いの農地をいくら確保しようがしれている。
例え飼料自給率100%で子牛を生産してもも、子牛市場での評価とは全く関係が無い。
そもそも買われた先の肥育農家でしっかりと輸入飼料で肥育されるから何の意味もなさないじゃないのか。

「食の安全って何なんだろう?」
「自分の仕事は何なんだろう?」
毎日悶々と葛藤した。

考えて考えて出た答えは「食の安全=食べるものがある社会」
だからこそ海外に依存せず、地域資源を活かした牛肉生産をする必要がある。
牛は豚や鶏と違い、人間が栄養と出来ない繊維を消化吸収し牛肉や牛乳というタンパク源を作り出してくれる動物だ。
家畜の事をライブストックと言うがその名の通り、生きているだけで食料の備蓄になる。
世界では飢えている人間がいる現実で人間の食べる事の出来る穀物を牛に与えることへの違和感。
地域資源を生かした牛肉生産の必要性。

でも、具体的に何をすればいいのか分からなかった。
借金もこれから返済のピークが迫ってくる。
何もかも中途半端な僕が、出来ることなんて何もない。
そう思っていた。

ある日、山の上にある放牧場で牛を見ていると「牛っていいなあ」という思いが湧いてきた。
自然の中で生きている牛は美しい。
そしてその時、放牧場から見た景色に心が動いた。
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「目の前にはこんなに山がある。牛の食べるものが無数にある。この山全部使って放牧すれば食の安全に繋がるんじゃないのか?」
そう思った。

「放牧で牛肉生産をしよう」
そう考え、あとはひたすら突っ走った。

牛肉の味を決めるのは出荷前の半年が重要だという事を知り、2008年から「放牧敬産牛肉」の生産。
その普及のために全国飛び回った。
毎週飛行機に乗っていた。

過労で倒れて入院。
飛び回っていた先で出会った妻との結婚。
子供の誕生。

無我夢中で走った。
「そんなことしている場合じゃないやろ!!」何十回も言われた。
自分ひとりでやる限界も感じていた。
でも、ここで引いたら自分の生きる根本がなくなってしまう。
限界を感じながらも進んだ。

いつの日か放牧牛肉と言うジャンルが出来て、日本中で普及すれば食べる物の確保につながる。
自分の子供たちに安心できる社会が残せる。
その思いだけで動いていた。

しかし、子供たちに安心して生きていける社会を残す前に、子供たちが安心して生きていける生活を維持するのもいっぱいいっぱい。
昨年10月から鬱病で通院中。

それでもこの荒れた山の放牧場を牛と一緒に整備する事で未来につながる一つのモデルになれば。
大照放牧場を30年かけて牛と一緒に拓いて行こう。
これに人生かけて取り組もう。
そう思っていた。

それがついこの間までの事だった。。。




(その2へ続きます)
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Top▲ | by beefcattle | 2012-10-23 22:09
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