放牧牛肉に向けた取り組み その3
悶々とした思いに蓋をして、事業の概算を出すための測量をお願いした。

現場は藪になっているところも多く、測量の手伝いに行く事になった。
土建屋さんに「ここはこういうラインでとってください」「ここ一帯を抜根して、その際ここにある木も伐採して」など、自分の要望をお願いする。

笹藪であったり、2m50cmもあるススキ畑であったり、森であったり、色々な場所がある。
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そこでとれる牛の草量は、一般的な牧草の放牧地に比べとても少ない。
笹なんて一度食べちゃえばその年はおしまい。
結果的に放牧出来る頭数は少なくなってしまう。
今回の事業でそれら全てが牧草地になれば、放牧頭数は増え、牛にとっての環境面も改善される。
経営的にも大きなメリットを産む。

毎日1/2500の図面を見ては、完成した放牧場の姿を思い浮かべていた。
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時間とともに虚しかった気持ちよりも完成した放牧場がもたらす経営的なメリットの方に心が傾いて行った。
今年2月におきたマイコプラズマの事故を含め、現状は非常にシビアな経営内容。
気がつけばすぐ目先の勘定を優先している自分がいる。

そんな状況で測量に臨んだ。

ここは「夢」が生まれた場所だ。
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「ここら辺の木も全部切ってください」

そうと言いながら僕は何かいけない事をしている気がして仕方なかった。
牛のため。良い山を作る。自然と調和した牧場・・・・
そんな事を言いながら、目の前には何年も生き抜いた木が生えそろっている。
それを全て切って、根も掘り起こし、表土も剥ぐ。
調和と言いながら、何十年、何百年と積み上げられてきた環境を破壊しているんじゃないのか。。。

ふっと上を見上げたら木の枝が伸びていた。
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この木の枝を見て呆然としてしまった。
今までまどろんでいたものが全て繋がった気がした。

写真では分かりにくいかもしれないが、枝と枝がありえない角度で、ありえないスペースをぬって、お互いをよけるように止まることなく1本1本伸びている。
これって当たり前の光景かもしれない。
でも、僕にとっては違った。

この木たちは生きている。

植物も生き物とよく言うが、「成長するから生きている」くらいの認識でしかなかった。
でも、この木を見た時に思ったんだ。
これは意思だって。
意思なしにこんな形などあり得ないって思った。感じた。

木の1本1本に意思を感じた瞬間、
猛烈に恐怖心と言うか罪悪感のようなものが襲ってきた。
10頭ほど放牧頭数を増やすために、いったいどのくらいの意思を消すんだろうって。

戦後の植林政策で過剰に植えられた杉やヒノキの山と、広葉樹が多い茂る山。
どちらがいい山だなんて、なんておこがましい考え方をしていたんだろうと。。。

線香林と呼ばれる山がある。
でも、ひょろひょろの杉やヒノキも、何百年経った栃の木も、同じ意思を持つ生命。
どちらが上だとか下だなど言えない。
どちらが素晴らしい命かだなんて言えるはずもない。

兵庫県で言えばほとんどが二次林(人の手が入っている林)だそうだ。
六甲山なんかは明治初期は伐採によってはげ山同然だった。
杉・ヒノキの林=人工林
広葉樹の森=自然林
そんなものはイメージでしかなく、今の広葉樹林も目的があって植林されたもので、薪などの利用がなくなった現在放置されていると言うだけ。
杉やヒノキの森が荒れていて生き物が住めない。のではなくって、杉やヒノキそのものが意思を持った生命。

だから「山にとって良い」とか「荒れた山」という表現自体がおかしなニュアンスなのだ。
山は勝手に成り立っている。
そう感じた。
今ある杉林も広葉樹林も何千年とほったらかしていたら、同じようにその環境にあった山に勝手になる。
勝手になるんだ。

確かに何十年もたっているシイの木とかコナラの木とか、迫力ある。
生命力を感じる。

と、同時に足元を見れば朽ちた木や枯葉やドングリがある。
その下には腐葉土がある。

腐葉土は朽ちた木や枯葉や微生物や動物の死骸や色んなものがまじりあって出来ている。
その中にはもしかしたら何千年経っていた木もあるかもしれない。
ドングリの時点で腐ったものもあるかもしれない。
それぞれのドラマの積み上げられたものが今。

今ある木だってそうだ。
但馬は雪が多いので傾斜地の木の根元は雪の重みで曲がって生えている。
すっと伸びた木の途中でおかしな曲線を見れば、その年に大雪があったのかななんて想像してしまう。
それぞれの木にはそれぞれのドラマがある。

人間だって同じだと思った。
各々ドラマがある。
今、有名な人もいれば、聖徳太子みたいに今もなお名が残っている人もいる。
同じように名前も残っていない数え切れない人が過去にいる。
現在も生まれては死に、生まれては死ぬ。

朽ちて消えていった木は今ある木の成長を支えている。
1000年の木も1年のドングリも。
木だけではない、森にはたくさんの動物も昆虫も爬虫類も両生類も鳥も節足動物も微生物も信じられないくらいの命にあふれている。
その中に我が家の牛もいる。
その中に人間の営みもある。

数十頭の牛と人間を養うため、木を切り、根を起こし、表土の中にいる数え切れない生命までも奪い、
「これは環境に良い牛飼いです」
なんてほざけるか!!
と思っちゃった。

ここを牧草地にする意味って何なんだろう?
山の中で一人でずっと考えていた。

少なくとも「環境に良い」なんて言葉は存在しない。

ただ、自分がどういう選択を取るのか。
答えは出た。


(その4へ続く)
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Top▲ | by beefcattle | 2012-10-26 22:07
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