ブタがいた教室
先日「ブタがいた教室」という映画を見てきました。
1990年に大阪の小学校で実際にあった話が原作になっています。
「豚を飼い、飼育し、その豚をみんなで食べよう」といった命をテーマにした授業。
この提案に生徒たちは大喜び。
だけど、いつの間にか生徒たちにとって豚は家畜からペットに変わっていきます。
そんな中で最終的に卒業を控え、この豚を食べるか食べないか。
生徒たち自身が限られた時間の中で悩み考え結論を出していきます。
最終的に食べる食べないはネタばれになるので書きませんが本当にいい映画でした。
畜産農家の視点ではなく、家庭や子供や教育現場からの視点でかかれているので僕としてはすごく新鮮な気付きがたくさんありました。


実は僕が中学だったか高校だった頃、この話がテレビで流れました。
その時のことは全く覚えていないのですが、昨年家の片付けをしていた時にたまたま何気なく手にとった昔のビデオテープを再生したところなんと当時のドキュメンタリーを録画していたテープだったのです!!
(ちなみに番組の終盤から違う番組を撮っていたので結末は見れませんでした(笑))
しかも、その時僕は子供たちにもっと牛を知ってもらうために小学校で牛を飼えないだろうかと悩んでいた最中でした。
小学校で牛を飼ってその牛を食べるところまでできれば。。。。
まさにそう思っていた時の出来事でした。
引き寄せられてる。。。。
思わずそう思いました。
かなり興奮し、早速調べてみたところ本が出ていました。
「豚のPちゃんと32人の小学生」さっそく2冊買いました。

さらに調べるとなんと映画化されるとのこと。
ずっと楽しみに待っていました。

そして先日いよいよ映画を見に行ってきたわけです。
最高でした。
泣きました。
こどもたちがPちゃんをどうするのか討論しているシーンがあります。
この映画は子供が「演技」になってしまわないよう物語の結末を知らせず、実際に3か月間の毎土日子どもたちは撮影現場の学校に通い豚の飼育も行います。
そしてディベートでは各々が自分の言葉で語ります。
実体験をもとにして葛藤の中のディベートだから言葉に力がある、涙に力がある。
一人一人の意見が胸に突き刺さりました。

こういった授業に対して「残酷だ」と頭ごなしに否定される方も多いと思います。
実際に多くの批判もあったようです。
「もしかしたらしばらく肉が食べられなくなる子供が出るかもしれない。」
誤解を恐れずに言えば、僕はそれでもいいと思っています。
傷つくから「食べる命から目を逸らそう」では今生きている牛たちの存在は何なんだろう。
当たり前ですが、僕たちの仕事や牛たちは隠さなきゃいけないものではありません。

最近の子供の事例としてよく「魚の切り身を見て、生きている魚のイメージがわかない子が増えた」などと聞きます。
確かに、これはどうかと思います。
でも、たとえ切り身が魚だと認識できたとして、それですべて解決するものなんだろうか。
それは単に知識として「理解」出来ただけで、その上にある食べ物やもととなる生き物に対する感謝や、生命について考えることこそが大切なのではないか。

命のイメージの条件は関わりだと思う。
関わるからイメージがわく。
関わるから当然葛藤はある。
関わったからこそ悩む。
僕だって淡々と牛飼いをしているけど今まで一緒にいた母牛を肉にするって決断する時は悩むし葛藤する。
だからこそ大事に食べようと思う。

この映画ではもちろん「絶対に殺したくない!」という生徒も出てくる。
「殺すことと食べることは違う」という生徒もいる。
いろんな意見が出る。
それでいいとおもう。

人間に限らず食べなきゃ生きていけないなんてことは当たり前。
でも、食べ物があるのは当たり前じゃない。
ただ頭ごなしに理解させるのではなく、牛とのかかわりの中で自然と「牛にありがとう」の土壌をつくっていければいいなと思います。
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Top▲ | by beefcattle | 2008-11-23 19:50 | 日記
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