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放牧牛肉に抜けた取り組み その5(ブロック肉販売)
今年は放牧敬産牛肉で「ひでふく」「みつこ」という牛を、放牧牛肉では「夢」という牛をお肉にします。
(放牧敬産牛肉と放牧牛肉については「こちら」をご覧ください。)

第1陣が「ひでふく」です。
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現在、兵庫県美方郡香美町小代区鍛冶屋という集落内の耕作放棄地で放牧しています。
11月1日が屠畜日。
その後、11月下旬に「みつこ」と「夢」を屠畜しようと考えています。

放牧敬産牛肉や放牧牛肉は出荷時期が雪の降る前に集中してしまうため、定期的に定量を出荷する事が出来ません。
そのため大手スーパーや飲食店様のご要望には中々お応えできないのが現状です。
様々な通販サイトからのご注文もいただきましたが、出荷量が少ないという事がネックとなり、どのお話も頓挫してしまいました。

でも、これで良いのだと思っています。

背伸びをして大きなことをする必要はない。
今できる事を丁寧に続けていれば理解して下さるお客様はいる。
だからこそじっくりいきたい。
そのためにも我が家ではお肉販売に主軸を置くのではなく、現在の子牛販売や削蹄と言った経営の2本柱を重要視しています。
決してお肉販売を軽く見ているという事ではありません。

実を言うと以前、大きな取引をしようと焦って失敗した事がありました。
口蹄疫の風評被害で牛肉料理が出ないと言う理由で、枝肉の半丸まるごと返品された事がありました。
真空パックで冷凍して送っていたので、返ってきても解凍してさばいて再冷凍なんてできない。
結局お肉は全て消費できず無駄にしてしまいました。
その後のその取引先との取引は全て中止になったため、残りの牛たちの肉も売り切るので手いっぱい。。。

この経験から目の前の大きな良い話に乗るのではなく、今のうちのスタイルを理解していただけるお客様とだけお付き合いさせていただこう。
個人のお客様、飲食店様同様に。
そう決めました。

無理にお肉にする必要はない。
きっちり売り切り、利益を出す。
しっかり喜んでもらう。
だから更新する母牛が全て売れないと見込んだら肉にこだわらず生体で転売しています。
柔軟に考えて動いて行こうと思っています。

その上で3頭が4頭に。4頭が5頭に。
そうやって少しずつお客さんとのやり取りが出来れば良いなと思っています。
その中でお肉のカットの勉強も熟成の勉強もしていきたい。

11月1日に屠畜する「ひでふく」
今回屠畜の際、神戸のフランス料理屋さんと一緒に行くことになりました。
今までも放牧敬産牛肉の切落しを使っていただいていたお店です。
切落しだとどうしても料理の制限があるため、今回からブロックをまとめて買っていただく事になりました。

フランス地方料理MOMOKAさんと言います。
現在HPで通販もしていらっしゃるのでぜひ覗いてみて下さい。
(うちの放牧敬産牛肉「ふくさと」がお世話になっています。通販サイトの放牧牛肉カレーがめちゃくちゃ美味しいですよ。)
MOMOKAさんの通販HPは「こちら」、お店のHPは「こっち」です。

先日結婚5周年記念日に御影のお店に行ったのですが、これが文句なしに美味しいんです!
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(料理名は忘れましたがどちらも放牧敬産牛肉「ふくさと」が入っています。食べた瞬間すぐにわかりました。)
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僕は自分の友達や知り合いであっても本当にいいと思うものしか宣伝しないのですが、とにかく美味しい。
コース料理でしたが、量もタイミングも計ったようにちょうど良く、大満足でした!!
料理に対する、お客さんに対する愛情がにじみ出ているお店でした。

美味しいだけでなく、田中畜産にすごくご理解をいただいている事が本当にありがたい事なんだと思います。
僕が「放牧するので一般的な牛肉に比べて硬かったり、締りが悪かったり、、、」と話していると
「そんな話はどうでもいいです。価値観の基準なんてそれぞれの立場で違うから。」とズバッと言われちゃいました。
そのお肉自体に価値を感じるかどうかが大事なんだと。
放牧とかそんな能書きは除いて、そのお肉自体が純粋に必要か使えるのかという話から入り、その上でうちのお肉に対する思いをちゃんと聞いて下いました。

こんなふうに関わりを持って、理解いただき、使っていただけることって、あるようで案外無いのが現状。
だからこういった繋がりは本当にうれしいのです。
ぜひぜひ、予約して食べに行ってみてくださいね。

少し話がそれました。今回はブロック肉の販売のお話でした。
ひでふくのブロックは内臓も含め全て売り切れになってしまったのですが、「みつこ」と「夢」のお肉もブロックでの販売を行いたいと思っています。
価格等はHPに記載してありますので是非ご検討いただれればと思っています!!
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ブロック肉の価格等につきましては「こちら」に記載しています。

牛たちの新たな可能性を見られる事、そして素敵な関係が新たに築ける事を願っています。

よろしくおねがいいたします。


(その6へ続く)
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Top▲ | by beefcattle | 2012-10-30 16:18
放牧牛肉に抜けた取り組み ちょっと番外編
前回で考え方の部分は終わりにしたかったのだが、もう少し補足してまとめとしたい。

先日、福島県で山地酪農をされている方とお話しさせていただいた。
山地酪農とは山の環境と自分の牛の能力を常に把握し、人間が環境のバランスととって行く事で長い時間をかけて作る酪農スタイル。
山林を活用した放牧の仕組みで、その放牧場を作るためには何十年という歳月が必要になる。

日本でも実践している牧場は数えられるほどしかない。

その方は福島の原発事故の影響で、放牧は当然出来ないとおっしゃっておられた。
おまけに来年には山地酪農の命とも言える表土を全てはがなくてはいけないと言う事。
何十年と培ってきたもいのが一瞬にして奪われる。
「身を裂かれるような思いです」そうおっしゃっておられた。

僕などが軽々とかけられる言葉なんてなかった。。。

北海道の旭川に山地酪農の先駆者とも言われる方がいる。
僕も何度か見に行った事がある。
本当に素晴らしい放牧場で、今でもその時に訪れた感動は忘れられない。
今は後継者の方が経営されている。
しかし、先代との経営に対する考え方の違いで、その放牧場は少しずつ姿を変えていっている。

今、僕が何を言いたいかって。
物事に「絶対的な良い悪いなんてない」ってことなんだよ。

ただ、その真摯に取り組んでいかれた思いや行動に僕の心が惹かれる。
尊敬している。
そういった気持ちだけは間違いなくある。

善と悪という二元論は非常に分かりやすい。
「放牧は自然と調和している/輸入飼料や穀物主体の牛は不健康」
「環境に調和した放牧での牛肉生産/狭い牛舎の詰め込みの牛肉生産」
同じように
「利益を出すための霜降り重視の牛飼い/サシが入らないから健康志向でブランディング化せざるを得ない短角牛・褐毛和種」
「サシを入れるための最新の管理技術とそれを支える牛への思い/ただほったらかしているだけの技術もへったくれもない放牧牛肉」

二元論で考えた時、立場によって物事は真理か偽りかになる。
表か裏か。
この考え方って非常に「楽」なんだ。
片方に酔ってしまえば真実にたどり着いたかのような錯覚にすぐなれる。

僕は神様は全てに宿っていると思っているので、特定の宗派も宗教も持たないし否定する気もないけど。
暴論を承知で言えば宗教とおんなじ。
何事も選択し、今を有効に生きるために活用すればいいけれど、依存してしまうとそれが全てだと思ってしまう。

「サシが入ったらいいんだ教」
「儲かったらいいんだ教」
「牛肉食べたら癌になる教」
「放牧は自然で素晴らしい教」
「放牧は牛にとって幸せ教」
「サシよりも美味しさなんだよ教」
「国産は安全だよ教」

これほど安易な情報操作も考え方もない。
だって考えなくていいんだもん。
こんな事を書くと、間違いなくお客さん減るんだろうなと思って書いている。

自然と調和した農業なんてあるんだろうか?
これが絶対に正しい姿なんてあるんだろうか?

どんな大義を抱え、志を持って事業を起こしても、代が変われば変わる。
よく、坂本竜馬がヒーロー視されるが、坂本竜馬がいなかったら今、僕はいないかもしれないけど、いなかったなりの今がある。
坂本竜馬と同時期に生きていた名もない人間が1人死んでいただけで今の歴史は変わっていたかもしれない。
そんなもんなんだと思う。
絶対正義なんてないし、真理なんてそうそうないよ。

全ては平等なんだと思う。
all flat
ゼロベースで一旦考えてみる。

真理なんてそうそうないよ。
ほとんどが「主観」だから。

その上で、自分が何が好きなのか。
そして、何がしたいのか。
深く深く考え、自分の人生を生きればいい。
と、言うのが僕の主観だ。

僕が放牧での牛肉生産を日本中に広げて日本の食料自給率が10%上げたとすれば、もう偉人だと思う。
でも、10代先にはその思想や取り組みが継続されているかなんて知る由もない。
1代先でも分からないのに。
偉人がいたから今があるのではなく、過去にチンピラであろうが、教師であろうが、農民であろうが、奴隷であろうが、今に繋がっている。
命に無駄なんてない。

二元論では否定の上に成り立っている正義をよく見かける。
だからこそゼロベースで見直してみませんか?と提案したい
そこから考えてみて、自分の思う選択肢を選べばいい。
それは好みで良いんだ。
それで結果的に同じ選択肢ならなおいいじゃない。

好きだから。
これ以上の理由なんてあるんだろうか。

二元論で考えない。
真理なんてそうそうない。
好きだから。
大切なものを大切に生きたい。

個人的に、大切な人が増え、お互いを思い、そのやり取りの中で生きていけたら、満足のいく死をむかえられると思う。

だから、しっかり働かなくっちゃね。

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番外編でした。
(その5へ続く)
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Top▲ | by beefcattle | 2012-10-29 21:04
放牧牛肉に向けた取り組み その4
結論から言えば、木を切り倒して牧草畑に向かう事に決めた。
今、全く迷いはない。

憂いでいた気分も今はない。
いつの間にか目標が目的になっていただけの事だった。
放牧場の整備は手段でしかない。
目的は別にある。
明確にある。

その前に木の話に戻ろう。

僕はずーっと森の中にいて、本当に木には個性があるって気づいた。
太い木も細い木も立ち枯れした木も足元で朽ちた姿になっている木も。
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いること自体に意味がある。

山にいて思ったんだ。
何かを成し遂げることが価値ではないって。
存在している事自体が価値。
「成し遂げる」の基準なんてあってないようなもんだ。
結局主観でしかない。

分かった事は
①色んなものに命があるってこと。
②絶対死ぬってこと。
③命は続いているという事。

この法則にドングリも微生物も雑草も人間も例外はない。

一瞬だが牧草地にするのをやめようと思った事もあった。
でも、そうしたって牛を入れる事で絶える命もいっぱいあることには変わりがない。
そもそも命を奪わずに生きると言うこと自体が生命として不可能だと言う事。

命を奪う事で継続している世界。
そこに善悪なんてものはない。
殺し殺しの連鎖で生命は成り立っている。

普通に考えたら単純に殺し殺しの連鎖ならば生命そのものがなくなっていてもおかしくはない。
でもでもでも、その連鎖の中で生命は継続している。

これってものすごく複雑で、ものすごくシンプルな世界だと思った。

農業はサイエンスであるけど哲学でもあると思っていて、もちろん産業だから経営学も入るんだけど、考え方と言う所を自分の中ですごく大事にしている。

殺し殺しの連鎖の中でも生命が続いている事実から、僕は生命が向かう方向があるのだと思った。
(こういう話になるとすぐ「宗教」だ。とかキワ者扱いされるの何とかならんかな・・・)
人間の向かう方向ではなく、生命の向かう方向。
以前「」というタイトルでブログを書いたが、そこでも書いたとおり命って言うのは「意思」なんだと思う。
http://beefcattle.exblog.jp/15402251(読んでみてください)

僕の仮説だけど意思というのは生命そのもので肉体に宿るものだと思う。
そう考えると受精卵からの脅威的なスピードでの誕生や死後一気に進む腐敗も納得がいくのだ。

意思は何度も巡っては宿る。
そして意思の抜けた肉体・有機物は分解され次につながる。
そう結論付けました!!(暴論)

Q:じゃあ何のために意思があるのか?
A:想像するために。
Q:なにを?
A:愛を。
って、それが命の向かう方向だなと思ったわけです。

そうでなかったら命の奪い合いの連鎖は破滅しかないじゃない。
ありきたりな言葉だけど、人間も例外なく自然の一部なんだと痛感しました。

結局それで何が言いたいかと言えば、何のことはない各々が精いっぱい生きるしかないってことなんだ。
朽ちたドングリも淘汰された木も無駄にはならない。
もっと言えば牛を殺して山にほかしてもその肉体は無駄にはならない。
循環する。
燃やそうが野ざらしにしようが食べようが無駄なんてない。
全部回っている。

だからと言って淘汰された木に生きる意思がなかったかと言えばそんな事はない。
殺される牛が美味しく食べてくれてありがとなんて思うはずもない。

各々が生きようとする意思を持っている。
だから僕自身も淘汰されたくないし生きようと思う。
と同時に子供も幸せに長生きしてほしいと思う。

大切な人を大切にしたい。

これが結論だ。
何かを成し遂げる事が生きる意味ではなかった。
大切なものを大切に、愛情を注ぎ、自分を生ききる。

生きるためには命を奪わなくてはいけない。
牛も殺す。
そこにためらいはない。

ただ、僕個人として生きている間は愛情を注ぎたいし、肉になったらありがとうって思って食べたい。
それだけだ。
強要する気もない。
牛がどう思うかは関係ない。

そして、自分の身近な大切な人、わざわざうちのお肉を買ってくれるかたにはちゃんと喜んでもらいたい。
思いを注ぎたい。

放牧だからとか霜降りだからとかほんまに些細なことだ。
何が正しいかなんてない。

殺し殺しの連鎖と、必ず死ぬという事実。
そして命(意思)は巡るという仮説。

価値観は環境と思考が生んだ個人個人の好みでしかない。
だからどんな意見も否定する気もない。
全ては好みだから。

だからこそ好きな人、大切な人、自分にとって大切な物事を見失わず大切にする生き方を選びたいと思った。
そのためにも儲ける必要があるし、今の経営も放牧牛肉も自分にとって必要だと考えている。
だから続ける。でも、手法にこだわらない。
漠然とした未来のためでなく、自分自身を生きるために。

哲学的な話はこのくらいにしておいて。。。

いよいよ来月から放牧敬産牛肉「ひでふく」の販売開始です!!
具体的な取り組みについて書いて行こうと思います。

(その5に続く)
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Top▲ | by beefcattle | 2012-10-27 00:27
放牧牛肉に向けた取り組み その3
悶々とした思いに蓋をして、事業の概算を出すための測量をお願いした。

現場は藪になっているところも多く、測量の手伝いに行く事になった。
土建屋さんに「ここはこういうラインでとってください」「ここ一帯を抜根して、その際ここにある木も伐採して」など、自分の要望をお願いする。

笹藪であったり、2m50cmもあるススキ畑であったり、森であったり、色々な場所がある。
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そこでとれる牛の草量は、一般的な牧草の放牧地に比べとても少ない。
笹なんて一度食べちゃえばその年はおしまい。
結果的に放牧出来る頭数は少なくなってしまう。
今回の事業でそれら全てが牧草地になれば、放牧頭数は増え、牛にとっての環境面も改善される。
経営的にも大きなメリットを産む。

毎日1/2500の図面を見ては、完成した放牧場の姿を思い浮かべていた。
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時間とともに虚しかった気持ちよりも完成した放牧場がもたらす経営的なメリットの方に心が傾いて行った。
今年2月におきたマイコプラズマの事故を含め、現状は非常にシビアな経営内容。
気がつけばすぐ目先の勘定を優先している自分がいる。

そんな状況で測量に臨んだ。

ここは「夢」が生まれた場所だ。
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「ここら辺の木も全部切ってください」

そうと言いながら僕は何かいけない事をしている気がして仕方なかった。
牛のため。良い山を作る。自然と調和した牧場・・・・
そんな事を言いながら、目の前には何年も生き抜いた木が生えそろっている。
それを全て切って、根も掘り起こし、表土も剥ぐ。
調和と言いながら、何十年、何百年と積み上げられてきた環境を破壊しているんじゃないのか。。。

ふっと上を見上げたら木の枝が伸びていた。
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この木の枝を見て呆然としてしまった。
今までまどろんでいたものが全て繋がった気がした。

写真では分かりにくいかもしれないが、枝と枝がありえない角度で、ありえないスペースをぬって、お互いをよけるように止まることなく1本1本伸びている。
これって当たり前の光景かもしれない。
でも、僕にとっては違った。

この木たちは生きている。

植物も生き物とよく言うが、「成長するから生きている」くらいの認識でしかなかった。
でも、この木を見た時に思ったんだ。
これは意思だって。
意思なしにこんな形などあり得ないって思った。感じた。

木の1本1本に意思を感じた瞬間、
猛烈に恐怖心と言うか罪悪感のようなものが襲ってきた。
10頭ほど放牧頭数を増やすために、いったいどのくらいの意思を消すんだろうって。

戦後の植林政策で過剰に植えられた杉やヒノキの山と、広葉樹が多い茂る山。
どちらがいい山だなんて、なんておこがましい考え方をしていたんだろうと。。。

線香林と呼ばれる山がある。
でも、ひょろひょろの杉やヒノキも、何百年経った栃の木も、同じ意思を持つ生命。
どちらが上だとか下だなど言えない。
どちらが素晴らしい命かだなんて言えるはずもない。

兵庫県で言えばほとんどが二次林(人の手が入っている林)だそうだ。
六甲山なんかは明治初期は伐採によってはげ山同然だった。
杉・ヒノキの林=人工林
広葉樹の森=自然林
そんなものはイメージでしかなく、今の広葉樹林も目的があって植林されたもので、薪などの利用がなくなった現在放置されていると言うだけ。
杉やヒノキの森が荒れていて生き物が住めない。のではなくって、杉やヒノキそのものが意思を持った生命。

だから「山にとって良い」とか「荒れた山」という表現自体がおかしなニュアンスなのだ。
山は勝手に成り立っている。
そう感じた。
今ある杉林も広葉樹林も何千年とほったらかしていたら、同じようにその環境にあった山に勝手になる。
勝手になるんだ。

確かに何十年もたっているシイの木とかコナラの木とか、迫力ある。
生命力を感じる。

と、同時に足元を見れば朽ちた木や枯葉やドングリがある。
その下には腐葉土がある。

腐葉土は朽ちた木や枯葉や微生物や動物の死骸や色んなものがまじりあって出来ている。
その中にはもしかしたら何千年経っていた木もあるかもしれない。
ドングリの時点で腐ったものもあるかもしれない。
それぞれのドラマの積み上げられたものが今。

今ある木だってそうだ。
但馬は雪が多いので傾斜地の木の根元は雪の重みで曲がって生えている。
すっと伸びた木の途中でおかしな曲線を見れば、その年に大雪があったのかななんて想像してしまう。
それぞれの木にはそれぞれのドラマがある。

人間だって同じだと思った。
各々ドラマがある。
今、有名な人もいれば、聖徳太子みたいに今もなお名が残っている人もいる。
同じように名前も残っていない数え切れない人が過去にいる。
現在も生まれては死に、生まれては死ぬ。

朽ちて消えていった木は今ある木の成長を支えている。
1000年の木も1年のドングリも。
木だけではない、森にはたくさんの動物も昆虫も爬虫類も両生類も鳥も節足動物も微生物も信じられないくらいの命にあふれている。
その中に我が家の牛もいる。
その中に人間の営みもある。

数十頭の牛と人間を養うため、木を切り、根を起こし、表土の中にいる数え切れない生命までも奪い、
「これは環境に良い牛飼いです」
なんてほざけるか!!
と思っちゃった。

ここを牧草地にする意味って何なんだろう?
山の中で一人でずっと考えていた。

少なくとも「環境に良い」なんて言葉は存在しない。

ただ、自分がどういう選択を取るのか。
答えは出た。


(その4へ続く)
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Top▲ | by beefcattle | 2012-10-26 22:07
放牧牛肉に向けた取り組み その2
「30年かけて牛と一緒に山を守る。その延長線上で牛肉生産をする。」

そんな取り組みをしている僕は【良い事】を行っている。
そんな気持ちが潜在的にあった。
ただ、それに酔ってうかれていたわけでもなかった。
なぜなら目の前にお金が回って行かないという現実があったから。

それでもこの大照山の10haを牧場にする事は意義がある。
これが今僕の具体的に出来る事だから。
そう思って前に進んだ。
家族総出で牧場づくりに向かった。
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日本中には山がたくさんあり、国土の7割以上を山林が占めている。
逆に言えば平地は少ない。
その全ての平地で作物を作ったと仮定しても、日本人全ての食糧はまかないきれないのが現実。
だからこそ作物の作れない山で牛肉を生産する事が出来れば、荒れていた山の管理にもつながり、食料の自給率も上がる。

山にはたくさんの木がある。
戦後の国の植林政策で杉やヒノキが大量に植えられた。
その山は木材価格の下落とともに放置され、間伐されず細く伸びた木が密生し「線香林」などと呼ばれる森になっている。
地面に日が差さないので森の中は土がむき出しの状態。
生き物の住めない森。

そうではなくて、広葉樹等の豊かな森と、そこに放される牛達。
そしてその山で生産される牛肉。
イメージとしては最高だ。

間伐して、森に日光を入れ、牛を放し、最終的に芝の生える牧場にしていく。
そうすれば山にとっても牛にとっても人にとっても良い環境が作れるはずだ。

そんな牧場を牛と一緒に作っていくには何十年って言う期間が必要になる。
だから一生をかけてやらなくてはいけない。
そう思ってきた。
行動もしてきた。

具体的には牛を山に放し、下草を食べさせる。
その後人間が山に入り間伐をする。
今まで密生して日光が入らなかった森の中に光を入れる。
牛の餌となる下草が生える。
さらに野芝などをスポット的に移植し、放牧場に向けて手を入れていく。
その芝も5年ぐらい経たないと増えてこない。
間伐する事で太い木材生産に繋がり、同時並行で牛肉の生産も出来る。
だけれどもそんな牛肉生産の事例はない。
自分で作らなくてはいけない。
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そんな時にすごく大きな話が舞い込んできた。
国の補助金で山の草地化の整備が出来るというのだ。

この事業に採択されるかはまだ未定だけれど、補助金が下りれば30年かけて草地化しようと思っていたところがあっという間に牧草地にできる。

土建屋さんに頼んで木を切り、抜根して、ブルでならして、牧草の種を播種する。
数ヶ月あれば出来る。
願ってもない話だ。
目の前がバッと開けた気がした。

補助事業の申請には概算を知るために見積もりを取って回る必要がある。
抜根などの土木工事は土建屋さんが本業。
話を聞いてもらいに行くと、「わかったわかったこうしたらええんやな」と僕の要望を簡単に聞いてくれた。

大きな公共事業などをされてきた土建屋さんにとって10haくらいの面積の開墾など難しい事ではない。
もちろんお金はしっかりとかかるのだが、作業としては数ヶ月の作業。
お金がかかると言っても土建屋さんの事業全体から見たら放牧場の整備にかかる金額など小さなものでしかない。

見積りをお願いした土建屋さんは本当に親身になって聞いて下さった。
しかし、それとは裏腹に自分の中でどうにも晴れない思いが残っているのを感じた。

話が進めば進むほど晴れない心。
何故なんだろう?30年かけてやろうとした事が来年には実現できているかもしれないのに。。。

逆だった。

自分が人生をかけてやろうと思っていた事。
それって土建屋さんにとっては大した利益も出ない、たった数ヶ月で終わる仕事。

あれ?俺が人生をかけていたものって、そんな小さな事だったんだろうか?
「儲からなくても続ける。」と思っていた信念が、すごく小さなものに思えて仕方なかった。

『自分のやろうとしている事は食の安全を支える基盤作り。』
でも、自給率100%の牛が50頭いたって、日本中のお腹を満たせるわけがない。。。

基盤作りと言う大義名分。
大義名分と言う名のマスターベーション。
自分の思いってそんなものだった、、、のか????

せっかく全国から放牧ツアーを通して牧場を見に来て下さっている中、肝心の僕は歯切れの悪い対応しかできなかった。



(その3につづく)
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Top▲ | by beefcattle | 2012-10-26 13:51
放牧牛肉に向けた取り組み その1
いよいよ今年のお肉販売が始まる。
日々の事、お肉の事、牛の事いろいろ書きたい出来事があったのだけど中々パソコンの前に座れなかった。
忙しさもあったが、自分の中で消化できていない思考が残っていたから。

僕は今、放牧で牛肉を生産しようと完全グラスフェッドの但馬牛の去勢を2頭飼育している。
「夢」と「元気」と言う名前の牛だ。
グラスフェッドとは穀物を与えず牧草だけで牛肉まで飼育する方法。
牧草だけなので脂肪は少なく、増体も悪い。
もちろんサシは入らない。

但馬牛という黒毛和種の中でも特別小さく、和牛の世界でも特殊な「品種」の牛を、完全に草だけでお肉にする。
過去をさかのぼっても、世界中探しても絶対にここにしかありえない取り組み。
それは逆にいえば、それだけ無茶な発想で、「なんで但馬牛なんだ!」「どうしてもやりたいなら違う牛でしたらいい」そんなことばかり言われてきた。
たとえ100,000人牛飼いがいても、こんなことを行う人なんて一人もいない。
素人の道楽ならまだしも、業界内では「革新的」ですらなく、「異常」な取り組み。。。
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現在はこの「放牧牛肉」と同時並行でお肉になる直前の半年間を放牧で仕上げる「放牧敬産牛肉」というお肉をインターネットで販売している。

HPはhttp://tanatiku.com
今年は3頭の牛をお肉にする。

そもそも何故こんな事をしようと思ったかと言えば、平成18年に起きたエンドファイト中毒がきっかけだった。
当時の僕は15頭ほどしか牛がいなくて、牛飼いだけで食べていけなかった。

実は就農してから2年間は県と町から毎月合わせて15万円の補助をいただいていた。
それで餌代と生活費をまかなっていたのだ。
当然のことながらそんな補助はいつまでもあるものではない。
1年目5頭、2年目8頭、3年目15頭。。。。
生活のために一刻も早く牛を増やして売上を上げる必要があった。

しかし、当初借りた牛舎は親牛10頭入ればいっぱいいっぱい。
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場つなぎ的に村岡に、小代に、新温泉町にと牛舎を借り、借金を重ね牛の頭数を増やした。
牛舎をどこかに新築しなければもう回らなくなっていた。
そんな時に進めていた牛舎建設が白紙になる。

お金は借りているので牛は増える。
牛舎が無いので間借りして置かせてもらう。
一から牛舎建設予定地を探しなおす。
そして今の地主さんとの出会いで土地を確保できたものの
牛舎の設計、補助事業の算段、牛の導入、点在する牛舎、記録的な豪雪。。。
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機械も何もなかったから、糞尿もスコップでトラックに積んでは40分かけて深夜隣町の堆肥センターまで持って行ってはフォークで下ろす。
雪が降ったらスコップで1日中除雪。
そんな事ばかりに手が取られては何も進まない。

完全に頭も手も回らなくなっていた。
毎日イライラして、焦っては他人を否定し、周りを巻き込んだ。

牛も見られなくなっていた。

そんな時に6頭の牛の足が壊死している事に気が付く。
それがエンドファイト中毒(フェスクフット)
牧草のカビ毒から来る中毒症状だ。
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末期症状で全ての牛が廃用となった。
足が痛い牛を治りもしないのに何とかお産まで持つようにと毎日治療する日々。
そんな現状が続くと可哀想という感覚もマヒしてしまっていた。
ある日牛舎に行き「ああ、またあの(エンドファイト中毒の)牛、足痛いんか」と思いながら横目で見ていたら、実は陣痛で子牛の胎位がおかしく難産だった。
結局子牛は死産。
さっきまで生きていてサインを出していたのに。
親牛もそのままフェスクフットで予後不良との判断で廃用。
牛が好きで始めた牛飼いだったが、逃げたくて仕方なかった。

食べさせていた牧草や配合は全て海外からの輸入飼料。
「国産牛は外国産よりも安全。但馬牛・神戸ビーフは信頼されている」
そんな事を自分で言っていた一方で、
「BSEでアメリカ産は危険と言いながら、牛が食べている者はアメリカ産。牛が食べた物から牛肉が出来るのに何を持って安全って言うんだろう?」
そんな今まで蓋をしていた思いが次々出てきた。

結論から言えば、これらはエンドファイトを含め、すべては自分の管理不足でしかない。

でも当時の僕はそんなふうに冷静に見られなかった。
色んな大切な人や事柄がガラガラと音を立てて壊れていく一方で、どんどん進む規模拡大。
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怒りの矛先は「輸入飼料」だった。

しかし、輸入飼料に頼らない経営など現状では不可能だった。
頭数を減らし、機械に投資し、狭い但馬の谷沿いの農地をいくら確保しようがしれている。
例え飼料自給率100%で子牛を生産してもも、子牛市場での評価とは全く関係が無い。
そもそも買われた先の肥育農家でしっかりと輸入飼料で肥育されるから何の意味もなさないじゃないのか。

「食の安全って何なんだろう?」
「自分の仕事は何なんだろう?」
毎日悶々と葛藤した。

考えて考えて出た答えは「食の安全=食べるものがある社会」
だからこそ海外に依存せず、地域資源を活かした牛肉生産をする必要がある。
牛は豚や鶏と違い、人間が栄養と出来ない繊維を消化吸収し牛肉や牛乳というタンパク源を作り出してくれる動物だ。
家畜の事をライブストックと言うがその名の通り、生きているだけで食料の備蓄になる。
世界では飢えている人間がいる現実で人間の食べる事の出来る穀物を牛に与えることへの違和感。
地域資源を生かした牛肉生産の必要性。

でも、具体的に何をすればいいのか分からなかった。
借金もこれから返済のピークが迫ってくる。
何もかも中途半端な僕が、出来ることなんて何もない。
そう思っていた。

ある日、山の上にある放牧場で牛を見ていると「牛っていいなあ」という思いが湧いてきた。
自然の中で生きている牛は美しい。
そしてその時、放牧場から見た景色に心が動いた。
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「目の前にはこんなに山がある。牛の食べるものが無数にある。この山全部使って放牧すれば食の安全に繋がるんじゃないのか?」
そう思った。

「放牧で牛肉生産をしよう」
そう考え、あとはひたすら突っ走った。

牛肉の味を決めるのは出荷前の半年が重要だという事を知り、2008年から「放牧敬産牛肉」の生産。
その普及のために全国飛び回った。
毎週飛行機に乗っていた。

過労で倒れて入院。
飛び回っていた先で出会った妻との結婚。
子供の誕生。

無我夢中で走った。
「そんなことしている場合じゃないやろ!!」何十回も言われた。
自分ひとりでやる限界も感じていた。
でも、ここで引いたら自分の生きる根本がなくなってしまう。
限界を感じながらも進んだ。

いつの日か放牧牛肉と言うジャンルが出来て、日本中で普及すれば食べる物の確保につながる。
自分の子供たちに安心できる社会が残せる。
その思いだけで動いていた。

しかし、子供たちに安心して生きていける社会を残す前に、子供たちが安心して生きていける生活を維持するのもいっぱいいっぱい。
昨年10月から鬱病で通院中。

それでもこの荒れた山の放牧場を牛と一緒に整備する事で未来につながる一つのモデルになれば。
大照放牧場を30年かけて牛と一緒に拓いて行こう。
これに人生かけて取り組もう。
そう思っていた。

それがついこの間までの事だった。。。




(その2へ続きます)
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Top▲ | by beefcattle | 2012-10-23 22:09
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